Bio – Japanese
1985年、東京都品川区生まれ。4歳でセント・メリーズ・インターナショナルスクールに入学し、同スクールで過ごした13年間の恵まれた国際的な環境において、11歳よりサクソフォンを始める。
2002年、17歳で単身渡米。インターラーケン芸術高校音楽科において、指揮を F. フェネル氏、サクソフォンをL. シアーズ、T. マッカーレスター氏に師事。在学中の2003年、18歳でラジオ番組「FROM THE TOP」に出演。自身のサックス演奏(伴奏:クリストファー・オライリー)が全米放送され、その時のインタビューは全米の高校音楽教科書「Music! Its Role and Importance in Our Lives」に採用、掲載された。また、フェネル氏の推薦により抜擢されて指揮した2004年度の同校の定期演奏会が、指揮者としてのデビューとなった。2004年9月、イリノイ大学に入学。同大学におけるD. シュライカーの下での指揮の研鑽に加え、21歳でタングルウッド音楽祭に参加するなど、各地のマスタークラスやワークショップにおいて、G. マイアー、L. スラトキン、J. パヌラ、V. ポンキン、L. コルチマール、A. グナーム、T. コックレル等、多くの巨匠達の薫陶を受けた。
また、イリノイ大学入学直後の6月、ロシア・サンクトペテルブルグのSP Congress Society オーケストラに客演。この演奏会におけるA. グナームとの出会いがきっかけとなり、2006年、ジョージア州に本拠地を持つメーコン交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。定期演奏会をはじめとする多くの公演を指揮し、その全てを成功に導いた。また、その活動と並行して、青少年の音楽活動の場が無かったメーコン市にMercer/Macon Symphony Youth Orchestra を自ら創設し音楽監督に就任。創設期の2年間に同楽団の演奏レベルを 飛躍的に向上させただけでなく、経営面においてもその手腕を発揮し、オーケストラの運営を安定させることに成功した。音楽監督を辞任した後の現在も、同オーケストラは多くの成功を収めている。
その後の活躍は目覚しく、モスクワ交響楽団をはじめ、クバン交響楽団(ロシア)、ウィニペグ交響楽団(カナダ)等に相次いで客演し、各地の演奏会で成功を収めている。2008年、それらの活動に対し、アメリカの指揮者協会であるConductors Guild が選ぶ最も優秀な指揮者に贈られる Thelma A. Robinson賞のファイナリストにノミネートされた。
2008年9月より、アリゾナ大学音楽学部舞台芸術学科専属オーケストラの音楽監督に就任。同地のツーソン交響楽団、アリゾナ交響楽団、アリゾナフィルハーモニー管弦楽団、及びアリゾナ・オペラからの強い要請を受け、各楽団のアシスタント・コンダクターも兼任している。
上記5団体の重要なポジションにおいて成功を収めながらも、2009年夏、巨匠ロリン・マゼール氏主催の音楽祭「Castleton Festival」にマゼール氏本人の招待を受けて参加。1ヶ月にわたってブリテン作曲「ねじの回転」など4曲のオペラを通じてマゼール氏の薫陶を受けた後、同音楽祭の最終日に行われたガラコンサートでカルメンをはじめとするオペラのアリアを指揮して満場の聴衆の好評を博した。
同年9月、唯一の日本人予選通過者として招待を受けたエドゥアルド・マータ国際指揮者コンクール(メキシコ)においてセミファイナリストとなる。
翌年2010年夏には、音楽監督ジェームズ・レヴァインの招聘を受けて、伝統あるタングルウッド音楽祭に参加。数多くの出演したコンサートに対してニューヨークタイムズ紙上において絶賛されるなどの大成功を収めた中でも、オペラ公演にクリストフ・フォン・ドホナーニのアシスタントとして参加し、R. シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」の千秋楽公演を成功に導いた事、及び、小澤征爾フェロー賞受賞は特筆されるべきである。
2011年2月、音楽監督リッカルド・ムーティの招待を受け、第1回シカゴ交響楽団ムーティ/ショルティ指揮者コンクールに参加し、ベスト10入りを果たした。
現在はアメリカを本拠地として、シエラ・ビスタ交響楽団首席客演指揮者、アメリカで最も古い伝統を持つフェニックス・ユース・オーケストラ音楽監督、アリゾナ・オペラ団指揮者を兼任しつつ、今シーズンも、2011年5月のノースカロライナ・オペラ団ベンジャミン・ブリテン「ねじの回転」公演における同オペラ団デビューや、2011年夏の、芸術監督ファビオ・ルイジ招聘によるPMFコンダクティング・アカデミーへの参加など、世界各国での精力的な活動が予定されているおり、まさに国際的な活躍が期待される若手指揮者である。
(2011年4月)
